流れ橋と震災復興
この橋の構造は、建築の耐震設計の考え方なんかとは違っていて実にユニークである。橋桁が橋脚に固定されておらず、大雨で川が増水した際には流されてしまうこと
先の東日本大震災で津波の被害にあった街では未だに復興が進んでない。人工地盤で街全体を嵩上げする案や日常生活の利便性を少々犠牲にして高台に街をつくる案(何十年もそこで生活することを考えると大きな犠牲とも言える)などが検討されているが、現時点の技術・コスト・日常生活の利便性のバランスを考えると津波にはハードではなくソフト(日ごろからの逃げる準備)で対応するしかないと思う。さすがに建築物に流れ橋の考え方を取り入れても津波から人命を守ることはできないが、街の復興という観点からすると何らかの形でその考え方を取り入れる価値はあると思う。
谷 直人
- 2011年10月28日
再び、女川へ
前回4月17日に引き続き、宮城県女川町を訪問した。今回は社員旅行を兼ねて、同じ三和建設株式会社の社員24名と一緒だ。
高速道路の東北地方無料措置の影響で、インターチェンジごとに長蛇の列である。一台ことに罹災証明書と身分証明書の原本を提示して確認するためだ。
6月25日の夜は仙台に泊まった。雨模様ということもあったが、最高気温20度ということで半袖では寒いくらいだ。
仙台には国分町という東北一の繁華街があるのだが、とにかく人が多かった。いま日本で一番栄えている繁華街ではないだろうか。
翌6月26日は朝5時に宿を出発、女川町へは7時頃に入った。
前回訪問時から2か月以上経ってガレキはある程度撤去が進んでいたが、津波の被害を受けた惨状は依然としてそのままであり、復興はまだ端緒にもついていない。
以前は砂埃が目立ったが、これが生臭い腐敗臭とハエの多さに変わっていた。
女川総合運動公園の避難所に避難されている方は、前回4月訪問時の800人に対して600人にまで減ったとのことだが、いまだに600人も避難されていることがにわかに信じがたい。
前夜の仙台との違いが浮き彫りとなり、同じ被災県での格差も大きな課題であることを感じた。
敷地の一角に仮設住宅が建設されていた。2×3間タイプと3×3間タイプが整然と並んでいる。
住んでおられる方のご厚意で中を拝見できた。
中には、日本赤十字社から贈られた真新しい冷蔵庫・洗濯機・テレビ・炊飯器・湯沸しポットのいわゆる5点セットが置かれている。
約150戸が建設されているのだが、まだ4割近くが空いているのだという。
理由は、一般に報道されているように食事や光熱費が自前となることもあるようだが、よりグレードの高い仮設住宅の順番を待っているという人もいるということらしい。
そのことの是非はともかくとして、これから何年も住まなくてはいけない可能性があるわけだから、「とりあえず」という気持ちでは受け入れられない面もあるのだろう。
炊き出しは前回同様、三重の立花軍団を中心とした建サクメンバーとの共働である。当日は(一連の炊き出しでは)初めての雨となり、テントの増築などですったもんだした。さすがに建築屋の集まりであったため手際がよい。
4回目の炊き出しとはいえ、まだまだ喜んでいただけるくらい女川の復興は遠いということだ。

炊き出しも完了し片付が終わったころ、また雨足が強くなったきた。
三和建設の社員24名も、それぞれの思いを胸に帰阪の途についた。
以上
- 2011年6月30日
被災地にて
去る4月17日(日)、女川町総合運動公園(宮城県牡鹿郡女川町)の避難所で行われた炊き出しの応援に参加した。
女川の避難所には800人の人が避難しており、陸上自衛隊第14旅団の拠点にもなっている。
存在するのは道路のみ
炊き出しの話は後に譲り、まず目の当りにした被災地の様子から述べよう。
女川町も津波によって甚大な被害を受けた。震災後一週間の孤立状態であったらしい。残った食料を分けながら凌いだという。
TVの映像そのままであったが真近で見ると言葉を失う。崩壊した木造家屋の瓦礫が一面に広がっており、たまに見られる鉄骨造の建物もスケルトン(骨組)だけが無残な姿をさらしている。3階建の鉄筋コンクリート造の建物が横倒しになり基礎と杭頭部が見えている例もあった。杭が頭部で破断して引き抜かれて建物が転倒している。このような崩壊の仕方は見たことはおろか考えたことすらない。
明確に確認できるものは瓦礫が撤去された道路だけである。道路を確保する際に何人もが救出されたり遺体として収容されたりしたと思うが、まだ多くの遺体が瓦礫に下に眠っているかもしれない。

土地が動いた
仙台から女川町に向かう道路はなぜか車が多い。交通手段が車に限られていること、通行できる道路が限られていること、道路端に瓦礫がつまれて道幅がせまいこと、所々に轍ができてスピードが出せないことなどが原因として考えられるが、地元の人の話によれば単に見物に来る人もいるという。
道路渋滞の原因の一つとなっているのが水辺での道路冠水である。地盤が沈下したせいか満潮時は陸より海面のほうが高いため道路が海水で浸っている様子が散見された。
測量の際の基準となるベンチマークも大きく動いたという。正確な位置の確定にも時間がかかりそうである。
一番の想定外は燃料不足
地元の話を聞くと震災直後一番困ったことは燃料不足だという。女川町の孤立も燃料不足が一つの要因となったようだ。何をするにも燃料が必要であったが、役所も企業もこの点がBCP(事業継続計画)に全く盛り込まれていなかったという。今後の教訓とすべきだろう。
全国から集まった地場建設業者
炊き出しは建設マッチングサイト「建サク」を運営する㈱建サクの主催で行われた。
ガス炊飯器・プロパンガス・フライヤー・鍋などを持ち込み、現地に避難している人や応援しているボランティア職員に対し、ごはん・串カツ・豚汁など1000食がふるまわれた。
桜が散り始めたとはいえ、東北はまだまだ寒い。普段は冷たいおにぎりばかりを口にしているため、温かい食事は大変喜ばれ、またたく間に長打の列ができた。

特に、遠く三重からフライヤーや油を持ち込んで現地で揚げ物を行うことなど前代未聞であろう。
今回のとりくみは㈱建サクの社長・立花哲也のリーダーシップによって実行された。この男の行動力はまさに常軌を逸しており、瞬く間に全国8府県の建設会社総勢50名が集まるに至った。
そもそも炊き出しは現地に一切を依存しないことが求められるため、入念な事前準備が求められる。まだに戦争の兵站と同じだ。テントの設営から炊き出し場のセッティングに始まり最後の掃除片付けに至るまで、こういうときの建設関係者の動きは際立っている。
当日参加した深松組(仙台)や田中建設(女川町)といった地元建設業は、自身も被災したにも関わらず誰よりも早く初動段階から不眠不休で瓦礫の撤去に従事した。連日メディアで自衛隊や警察の動きは報道されても、こういう建設業の活躍が表舞台に出ないことは不思議というか残念なことだ。
改めて、有事の際に先頭に立って活躍できるのが建設業だと実感した。
このようなとりくみによって、多くの建設業に関わる人が自分の仕事に誇りをもてる日が来ることを願ってやまない。
森本 尚孝
- 2011年4月18日
<非常用>
先ずは、今般の大震災で犠牲になられた方々のご冥福と、被災された方々や地域の一日も早い復帰・復興をお祈りいたします。
さて、今回の感動建設のキーワードは「非常用」すなわち「常に有らざる時に用をなす」だ。
本震災でも「非常用」が用をなさずに激甚災害を引き起こしている事はご承知のとおりだ。その理由が「想定外」とか、これについては専門の方々がいずれ検証されるであろう、従がって門外漢は退散しよう。
建築においても「非常用」は結構見受けられる。「非常口」「非常階段」「非常照明」「非常進入口」etc.
そうそう病院などでは「非常用電源」もある。また敢えて「非常用」と名が付いていないが、集合住宅などのバルコニーにある「避難ハッチ」や、隣との境にある仕切りで「隔て板」と言うのも有る。「隔て板」には、非常時には破って隣に避難するよう示してある。集合住宅にお住みの方は確認してみてほしい。
これらの設備は、十中八九使用される事は無い。しかし、法律で設置が義務付けられているので設計段階で割愛される事は無く、当然施工時も使用を前提に取り付けられる。これらには当然コストが掛かるので違法とならない範囲で最小限度に留め置かれる事が殆どだ。
この必要最小限度の設備でさえ、非常時に使用できない状態にある物が多い。
「非常口」「非常階段」に物が山積みとなっており避難できずに火災の犠牲者が出てマスコミを賑わす事も少なくない。
又、私の住む集合住宅であるが写真のような状況で、前記の「隔て板」を破っても容易に避難できない状況も有る。
停電時に「非常照明」が電源不良で点灯しない事や、「非常進入口」の室内に物が有って消防隊が救助に向かえない事も考えられる。
訓練で使ってみないまでも、せめて「非常用」は非常時に役立つように、「平常時」から管理される事を希望する次第だ。
当然、法律で定められている以上の「非常用」設備を設置する事は可能であり、そう希望される建築主の方もおられる。だが、前述のごとくコストとの兼ね合いが有り、所詮「非常用」は「平常時」には不要の諸設備である。
しかしながら「非常用」に文頭で述べたような「想定外」といった言い訳は通用しない。ただ「平常時」には「想定したくない」だけであると言う事を付け加えておきたい。
川 端 康 司
- 2011年4月14日
震災と建設サプライチェーン
空前の大惨事をもたらした東北太平洋沖地震の発生からちょうど1カ月が経過した。
ブラック・スワン(黒い白鳥)という言葉があるらしい。
一つは予測できないこと。二つ目は非常に強いインパクトをもたらすこと。そして三つ目は、いったん起きてしまうと、いかにもそれらしい説明がなされ最初からわかっていたような気にさせられたりすることだ。
まさに今回の震災がこれにあたるようだ。

建設サプライチェーンの分野にもブラック・スワンが舞い降りた。
報道などで伝えられている通り、震災の影響で建設関連分野の資機材の供給体制が大きく乱れている。
現段階で影響が大きいとみられる品目は、工事用仮設関連機材・鋼材・合板・防水材・ガラス・断熱材・住設(キッチン、ユニットバスなど)・昇降機・電線などであろう。
実態の把握が進むにつれてさらに影響が拡大することも推測される。
供給体制が乱れる要因は主に次の点に集約される。
1.メーカーが被災あるいは計画停電の影響で出荷停止
2.あるメーカーが出荷停止となることで同業の他メーカーに注文が集中して出荷が遅れる
3.メーカー自体に被害はないものの、仕入先が被災して部品や材料が調達できず生産停止
4.仮設住宅や復興のための需要が急増し供給が不足
5.政府の要請による出荷停止要請による影響
6.市場における投機的買占め
上記要因のそれぞれが重複もしくは相互に影響しあうことになるが、特に3の問題については事態の把握に時間がかかるため情勢は流動的で不透明感を増す大きな原因となっている。
メーカー側も、普段大量に使用する原料については調達に関するリスクヘッジもできているが、ごく少量しか使わない材料については意識が回っていなかったようだ。
使用量の多寡にかかわらず、製品を完成させるには不可欠なのだから同様に生産には影響が出ることになる。
そして以上の論点に加え、原発の問題で日本の原材料や製品・部品が海外で受け入れられなくなることになれば、逆に国内で消費ぜざるを得ない状況となり、サプライチェーンに別の影響を及ぼすことも考えられる。
今や日本のモノづくりは、他との連携の中で成り立っており、「自己完結」しているところなど一つもないことを強く認識させられる。
森本 尚孝
- 2011年4月11日