工事(たくみわざ)の章 - 建物の施工

改修工事の簡易仮囲い

建物の内装リニューアル工事などで、重要な役割の果たすのが仮設の間仕切(仮囲い)である。

とくに、いながらリニューアルを行う場合は、工事範囲が小割になるため仮設間仕切の移設(「盛り変え」という)が頻繁に発生し、そのコストもばかにならない。

次の写真は、某大手ゼネコンS建設のグループ会社が開発したという仮設簡易間仕切である。


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ブルーシートを、家庭でもよく使われる突っ張り棒を改良したもので天井と床に固定するというものだ。
突っ張り棒の上部はシートを挟んで固定できるようになっているため、脚立などの足場を使わずにシートによる簡易間仕切を設けることができるとのこと。

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出入口も専用のファスナーを貼って簡単につくることができる。

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天井や床が完全に密閉されるわけではないため、大量の粉塵が出る仕事は難しいが、盛り変えが頻繁に必要な簡易仮囲いなら、これで十分だろう。
価格は7,000円/本。高い気もするが総合的に考えるとコストダウンにもなるかもしれない。

思わず感心してしまった。

会社の大小や技術の優劣とは関係のない、これぞまさに生活の知恵だ。


森本 尚孝

 


  • 2009年11月30日


仮設

次の写真は、たまたま通りがかりに目に止まった光景を撮影したものだ。

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某大手ゼネコンの建築現場である。
少しわかりにくいが、工事中の建物の一面に外部足場がない。
建物は純然たる鉄筋コンクリート構造で、型枠や鉄筋を組み立てるのに足場が必要なはずだ。
型枠を組んだ後に一旦足場を撤去したのだろうか。
型枠を解体するときや外壁を仕上げるときに、再度足場を組み立てるのだろうか。

結論としては、無足場で鉄筋や型枠を組み立てたとしか考えられない。
この建物のように、外壁がRC造ではなく、梁と柱だけなら足場がなくてもなんとかなるかもしれない。

現場監督を呼んで事情を聞こうとも思ったが、時間がなかったのでやめた。

仮設は文字通り仮に設置するものであり、成果品そのものの価値には直結しない。
少なくできれば、それにこしたことはない。

 

森本 尚孝


  • 2009年11月 5日


伝承することの素晴らしさ

大阪建設業協会で行われたセミナーの翌日に企画されたイベントで岸和田だんじり祭りを観てきた。地元に本社を置く岩出建設株式会社さんがエスコートしてくださった。

名物の「やりまわし」には圧倒された。ハイスピードでコーナー直角にを曲がるあれだ。

たまに転倒や建物への衝突などの事故が報じられるが、間近で見ると4トンもあるというだんじりの激突や転倒など考えると恐ろしさを感じた。

ところがだんじりを曳く者たちは、威勢のいい掛け声を出し、太鼓をたたき、笛を吹き、そんな恐れなど ものともせず全速力でたんじりを曳きコーナーを直角に曲がる。

「大工方」と呼ばれる役割はだんじりの大屋根や小屋根に乗り、団扇を手に華麗に舞う。

町の名を背負った法被を着て、代表として誇りとして、だんじりのてっぺんで目一杯の格好をつける。

本当に誇らしく格好のいい様だ。

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町一色がだんじりの熱気に包まれていた。だんじりは力のある若者が中心となって曳かれているが、だんじりの曳き手の中には小学生ぐらいの子どもの姿も多かった。力いっぱい声を出し、全速力でだんじりを曳くために走る子達の姿もとっても勇ましい。大人に負けない誇りを感じる。

大きな危険を伴い、また体力の要るだんじりの曳き手には年齢制限があるようで、まだ年齢に達しない小さな子達は沿道から声援るしかない。 SN3K0147.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな子達は「大工方」にあこがれているのだろう。団扇を持ち鳴り物に併せて客席で舞っている。 この子達も小さな体に誇らしく町の名を背をっている。

いろいろな方面で若手の継ぎ手不足による日本文化伝承の危機が叫ばれている。

建設業も、とくに大工方は屋号の名を背負った法被を着ていた。その屋号の技術を教えられ受け継ぐことを許された者が背中に名のある法被を着ることができた。誇りと同時に名を背負う責任が職方とその仕事の確かさを支えた。

現在では建設業も若手がその技術を伝承することが少なくなり職方が減ってきている。我々自身が少しずつでも建設業に対する良くないイメージを変えて行かなければと強く感じた。

若手伝承者不足の原因は「最近の若者事情」だけではないと改めて感じたからだ。

岸和田は老若男女だんじりにあこがれる風土が形成されている。

この伝統文化はこの先も子どもや若手によって継承されてゆくことだろう。

森本行則


  • 2009年9月24日


外壁窓回りの納まり

まずは下の2枚の写真をごらんいただきたい。

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何を撮影したものかお解かりだろうか?

上の写真は外壁に取り付けられたアルミサッシの右上部、下の写真はその左下部を外側から撮影したものだ。


これは現在、三和建設で建設しているある物件の外壁施工状況を示したものだが、この写真の意味するところを説明する。

この建物の外壁は工場や倉庫建築などでよく見られる「角波鉄板」を使う仕様となっている。

写真では石膏ボード貼りが完了し、さらにその上に防水紙を貼り終え、今まさに角波鉄板を貼り付けていこうとする状況である。

角波鉄板はいわゆる「板金屋さん」によって建物の角部分より1枚ずつを(この現場は幅60㎝×長さ約6m)順に貼っていくのだが、サッシ廻りなどは当然ながらその開口に合わせてカットしなければならない。

但し、それだけでは外壁の美観も悪いため、縦横に違う形状の「役物」を加工して取付けるのだが、そもそも「役物」は美観を保つことだけではなく、サッシ廻りからの雨水の浸入を防ぐことが最も大きな役割なのである。

 

・・・ここでようやく本題を下図とあわせて説明する。

まず(A)の部分にはシールは施さない。ここから浸入した雨水は③の縦見切り縁内を縦滑りし、窓下まで流れ落ちたのち、④の捨板鉄板を伝って1階腰壁水切りより外部に排水される。

尚、左の写真は、④の捨板鉄板がサッシの上にまで伸びていっているが、これは上階部分の(A)からの雨水を、1F腰壁水切りまで伝わるようにしているのだ。


次に(B)の部分についてだが、当該建物はサッシの外部側にアルミ額縁を設けた意匠となっているため③の縦見切り縁とアルミ額縁との間にはシールを施すこととした。

但し、角波鉄板は薄板材であるためその熱伸縮が大きく、鉄筋コンクリート造よりシールが破断しやすい。

もしこの部分のシールが破断すれば、当然ながら建物内部への浸入が予測される。

従ってサッシ部分については、④の捨板を図のように折り曲げ加工し、アルミ額縁との間に挟みこんだシールを充填し(この部分のシールは外部にさらされないため劣化しにくい)、二重の防水処理を施している。

またこのようなサッシの場合、一般的にはアルミ額縁の外側で②のアルミ水切りの長さとなるのだが、シールが破断した場合にあっても④の捨板鉄板を伝って外部へ確実に排水されるように、水切りを延長することとした。

 

 

 このようにして出来上がった建物を一見して外部からみても、その内部側でどのような工夫がされているかは一般的には知られるよしもなく、設計図に記載されていることすら少ない。

また角波鉄板などは主に金切りバサミでカットされるため、1mmでもハサミが多く入りすぎてしまうと、そこが漏水の弱点となってしまう。

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雨漏れ」=決して建物にあってはならないことである。
使われる資材の性質を知り、意匠としても機能としても満足させる方法とは・・・?

わたしたち三和建設は、これまでの失敗や培った経験をもとに常に前向きに検討し、過去を見直し、将来を見据えて確実に歩み続けます。

それが設計図に記載されていなくても・・・ 人の目に触れないことでも・・・。

 

相良 敦


  • 2009年8月18日


設計施工

同一の業者が、設計業務と施工を一貫して請け負う方式を設計施工(設計施工一貫)という。
これに対して、設計業務と施工を別々の業者が行う方式を設計施工分離という。


設計施工分離においては、まず設計者が定められ、その設計者が作成した設計図書に基づいて
施工者が選定されるという流れが多い。
一貫方式と分離方式のいずれが施主のメリットとなるのか、古くから議論が絶えない。


このテーマに関する議論としては、いわゆる「鹿島論争」が有名だ。

建築士事務所の設計施工を禁止すべきであるとの立場を取ってきた日本建築家協会と、当然設計施工を是とする鹿島守之助・鹿島建設会長(参議院議員、法学博士でもある)との間で繰り広げられた論争である。
今から40年ほど前のことだ。


三和建設では、基本的に設計施工一貫をお薦めすることが多いが、当然ほかの設計事務所の設計監理のもとで、施工のみを請け負う機会も多い。

設計施工一貫か設計施工分離かは、

・計画の背景
・計画内容
・スケジュール
・予算
・施主の想い
・施主の価値観

などによって決まり、一概にどのようなケースでもどちらかが確定的に望ましいとは言えない。

特に大きいのが最後に挙げた「施主の価値観」である。

「より良いものをより安く」作りたいのは当然だが、「より良い」あるいは「より安い」とは何かは
人によって違うのである。

はたして施主にとってよいのは、設計施工一貫?か設計施工分離か?

設計施工のメリットとデメリットに関する議論を次回以降展開していきます。


森本 尚孝


  • 2009年7月30日


ある若い現場監督の日記2

知人から聞いた言葉。

口頭で表現する言葉には、即効性がある。
メールや文章といった文字には、反復と持続性がある。

これは現場にも当てはまるな、と思うと同時に、最近ふと思うのは、これだけ言葉を出し合う仕事も多くないのではないか?と。

現場でまず考えなくてはいけないのが『安全』である。
声を出し合って注意を促し、モチベーションを上げる。
朝は職人と大きな声で挨拶をかわし、朝礼を行い、
各々の注意事項や、意思を伝え合う。

一見単純で疎かにしがちなのだが、これが非常に重要だ。

先ほども書いたように、声には即効性がある。
現場では一瞬の気の緩みが大事故につながる可能性があるのだ。
職員・職方同士、皆が声を出し合って、安全な現場を作る!という意識作り・雰囲気作りも安全につながっているのではと思う。


一方、文字だが、現場には看板や掲示物が張り巡らされている。
継続して言葉を出し続けることが出来ない代わりに、現場にいる全ての人間の為に現場からのメッセージを発信する。

また現場職員だけでなく、現場の前を通る一般の方も現場の看板や掲示物は目に付くはずだ。
普段から現場にいない方からすれば、その一瞬目に映った光景が、現場の印象そのものとなる。


知人の言った文頭の言葉は、言葉と文字を駆使して、より良い建物を提供したい!

建設業のイメージを変えていきたい!

と思える一言だった。


渡部 千種


  • 2009年7月29日


柿食えば・・・法隆寺

奈良斑鳩の里にある法隆寺。ユネスコの世界文化遺産にもなっている。
その起源については諸説あるようだが、一般的には聖徳太子のお寺(現在では聖徳太子の実在性すら不確定だそうで、昔の一万円札はいったい誰だったのか?)と言う事で後は歴史家に任せて話を進める。

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この法隆寺、先にも述べたように起源は不明だが、これも諸説あるものの約1400年前に造られたそうで、ともかく世界最古の木造塔(五重塔)が有ることは異論の無いところだ。
この建築物が1000年以上もの間建ち続けていることは驚異的なことと建築に携わる者として驚嘆を禁じえない。これは設計事務所が優秀なのか、建設会社が優れていたのか、はたまた協力会社が卓越していたのか・・・? 

これに関する私なりの答えを出す前に、前述の仮説について検証してみる。

まず設計事務所、少なくとも一級建築士はいなかったし、もちろん構造計算適合性判定も無く、恐らく設計のみを専業とする人はいなかったのではと思う。では設計は誰かといえば大工(宮大工)の棟梁(個人もしくは集団)といわれている。

次に建設会社、これは当時すでに存在したことは古文書等にて確認されている。しかし形態的には前述の宮大工集団が左官等その他作業員を使用していたと想像される。彼らが非常に優秀な技術を持っていたことに間違いはなさそうだが、それが理由で建築後1000年以上存在するとは言いがたい。では何故か?

現在の例として、東京タワーで考えて見よう。設計は日建設計、施工は竹中工務店ともに立派な技術集団だ。だから今でも東京芝に微動だにせず建っているのだろうか?

いや違う、竣工以来、日々ンテナンス鉄骨のタワーですから特に塗装)に携わっている人達がいるからだ。

元に戻って、法隆寺も同じで、寺の西側に宮大工等メンテナンスに携わる人達(この人達が現在も各地の国宝級寺社の大規模改修の主役だ)が住む地区がある。その人々が日夜修理や点検を行い、100年に一度の中規模修理、300年に一度の大規模修理を続けてきたから現在があるのだと思う。

三和建設も、自社で建築したものは勿論のこと、他社施工でも建物のメンテナンスには気を配っていて、各種のアドバイスもします。

建物の寿命は設計・施工技術にも依存するが、竣工後のメンテナンスが重要なことは法隆寺や東京タワーでお解かりでしょう。又、メンテナンスを通じて家主の方々との絆を結び信頼関係を築く事が、その建物君達の最も望んでいるところだと思う。

川端 康司

  • 2009年7月24日


ある若い現場監督の日記

職方より1本の電話があった。
『何で現場におらんねん!』

実は、現場監督として担当していた大阪の現場を6月いっぱいで抜け、7月より京都で新規の現場を担当している。
先ほどの電話は口こそ悪いが、何で(大阪の現場の)監督担当でなくなったのだ。という、職人さんからの嬉しいクレーム?の電話だったのだ。

現場は日々動き、刻々と変わる。
様々な業種のエキスパートが来て、様々な工程をこなし、また職人もミッションをこなしては次の現場次の現場へと移り変わっていく。

客観的にみれば、とても流動的に思えるかもしれない。
しかし、現場にいる私から言わせれば、そんなことはない。

皆様は、大の大人が本気で言い合いするところをご覧になる機会はあるだろうか。
現場では昼休みに現場監督と職長(業種のリーダー)達が集まって、その日や翌日以降の工程や搬出入、作業の進捗についての話し合いをするのだが、これが忙しくなればなるほど話し合いに時間がかかるし、難しい話し合いになる。

喧嘩ではないのだが、職方同士もかなりヒートアップした話し合いになる。
感情を表に出し過ぎるのは良くはないが、裏を返せば、それだけ自分の仕事・現場に対して熱意があるということだ。

学生の頃、クラスの皆で一つのことに対し、皆で協力して作業や練習をした時間は、人生の中でも非常に充実した時間のように思う。
私は今、仕事でも同じ思いを経験している。

建て物を作る。そこには多くの思いや、遣りとりがある。

個人個人がする仕事はごく一部にすぎないが、それをまとめて建て物=集大成を作り上げる、また作っている物が目の前で出来上がっていく姿を見られる現場監という仕事は贅沢だ。
皆で協力して作り上げる感動が現場にはある。
人と人との関係が、現場の流れを生み、建物を形にしていくのだ。

私は今年でまだ現場監督員として2年目である。
現場をしていると、同じ職方に会うこともある。

おお! 君か! 嬉しいな! またよろしく! 一緒に頑張ろう!!

こんな言葉を早く聞けるために、日々勉強しようと思う。

冒頭の電話は、その第一歩だと思えた。


渡部 千種


  • 2009年7月22日


仮設と景観

世界遺産にも指定されている沖縄県・首里城跡。
本年6月より、鮮やかな朱色が印象的な正殿外壁の漆塗装の塗り直しが行われている。

次のウェブサイトがより詳しい。

下地補修や漆の重ね塗りなど24もの工程を経てようやく塗り直しが完了するそうだ。

興味を引いたのは塗装を行うための仮設の足場だ。
配慮が利いていて朱色の足場が組まれているのだ。
更に足場板までも朱色にされており、少しでも工事中の違和感を少なくしようとする配慮がみえる。

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正殿を離れ順路を進むと、仮設のテントが張られていた。
何かの催しがあるのだろう。
テントの屋根も琉球建築に見られる赤瓦のデザインが施されていた
勿論 本物の赤瓦屋根と同化することはできないが、景観と仮設が意識されたスポットがここにもあった。

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工事中であることを知らずに首里城跡の正殿を訪れた観光客は、全景の一部とはいえ建物を覆い隠す仮設足場の存在はショックだろう。
しかし、こういった工夫で少しでもそれを和らげようとする配慮は私にとって少しばかり嬉しかった。

森本 行則


  • 2009年7月21日


指揮者と現場監督

いつもお世話になっている、ある方からご招待をいただいて、
飯守泰次郎指揮、関西フィルハーモニーのコンサートへ行ってきた。
曲目はスメタナの「わが祖国」(2曲目の「モルダウ」が有名)。

飯守は実に呼吸がよい。安心して聞ける。
演奏は、"きびきびとしていながら、せかせかしていない"

仕事のしかたもこのようにありたいものだ。


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ところで、私は三和建設の現場監督に
現場監督は指揮者である」
という話をよくする。

この例えにおいては、
楽譜 →設計図
演奏者→職人さん
音楽 →成果物(建物など)
に対応する。

画家や作曲家の仕事が創造芸術であるのに対し、指揮を含む音楽の演奏は再現芸術に類するが、誰が演奏しても同じ楽譜から常に同じ音楽が生まれるわけではない

同様に、同じ設計図に基づいても、できあがる建物は携わった現場監督によって変わる。

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楽譜から作曲者の意図を読み取ることが求められるように、現場監督も設計図に隠された事業主や設計者の想いをくみ取らなければならない。

オーケストラ演奏において、演奏者は指揮者のタクトだけを見て演奏しているわけでない。指揮者の知性・教養・エネルギー・人間性・価値観すなわち全人格が演奏家を動かし音楽を作る。

職人さんも常に現場監督を見ている。同じことを話しても監督からかもし出される人格やオーラによって職人さんの動きは変わるのである。


指揮者は自ら楽器を扱うわけではなく、常にすべての楽器奏者に細かい指示を与えているわけではない。
しかしながら、そのオーケストラから生まれるすべての音はまぎれもなくその指揮者の音楽である。

現場監督は自ら釘一本打つ必要はない。
たが、その現場を通じて作り出される建物もまた、すべてその監督自身の作品なのである。


森本 尚孝


  • 2009年7月17日