指揮者と現場監督
いつもお世話になっている、ある方からご招待をいただいて、
飯守泰次郎指揮、関西フィルハーモニーのコンサートへ行ってきた。
曲目はスメタナの「わが祖国」(2曲目の「モルダウ」が有名)。
飯守は実に呼吸がよい。安心して聞ける。
演奏は、"きびきびとしていながら、せかせかしていない"。
仕事のしかたもこのようにありたいものだ。

ところで、私は三和建設の現場監督に
「現場監督は指揮者である」
という話をよくする。
この例えにおいては、
楽譜 →設計図
演奏者→職人さん
音楽 →成果物(建物など)
に対応する。
画家や作曲家の仕事が創造芸術であるのに対し、指揮を含む音楽の演奏は再現芸術に類するが、誰が演奏しても同じ楽譜から常に同じ音楽が生まれるわけではない。
同様に、同じ設計図に基づいても、できあがる建物は携わった現場監督によって変わる。

楽譜から作曲者の意図を読み取ることが求められるように、現場監督も設計図に隠された事業主や設計者の想いをくみ取らなければならない。
オーケストラ演奏において、演奏者は指揮者のタクトだけを見て演奏しているわけでない。指揮者の知性・教養・エネルギー・人間性・価値観すなわち全人格が演奏家を動かし音楽を作る。
職人さんも常に現場監督を見ている。同じことを話しても監督からかもし出される人格やオーラによって職人さんの動きは変わるのである。
指揮者は自ら楽器を扱うわけではなく、常にすべての楽器奏者に細かい指示を与えているわけではない。
しかしながら、そのオーケストラから生まれるすべての音はまぎれもなくその指揮者の音楽である。
現場監督は自ら釘一本打つ必要はない。
たが、その現場を通じて作り出される建物もまた、すべてその監督自身の作品なのである。
森本 尚孝
- 2009年7月17日